「愛国の丹心」
2010/02/10 20:00
【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(14)】
旧態依然たる勢力であった江戸幕府が倒れた明治維新に対しては拍手喝采するのに、現代における旧態依然たる国政の政治勢力や、旧態依然とした「府庁党、市役所党」のごとき地方勢力を倒すとなると、「役人を使いこなさないといけない」とか「急進改革は混乱を生じさせる」とかいう理由で二の足を踏む人々が少なくありません。ファッションなのでしょう。
昨今のような政治の混乱期にあって国を愛するとはどういうことか?。「世に棲む日日」で学ぶことができます。
<<井上は兇刃をうけて日も浅く、全身白布に巻かれて「いもむし」のように寝床にころがっていた。
その井上の枕頭で晋作は一詩をつくり、
「愛国の丹心」
と題して、書き置きをした。自分の劇的行動なり劇的境涯なりを詩にするというのは、長州人の癖であった。とくに松陰と晋作においてそれが濃厚であった。
・・(中略)・・
意味はこうであろう。
「自分の心胆がまだ衰えていないのに、国(長州藩)が衰えようとしている。俗論のはびこっているこの藩の城の埃をたれがはらいおとすのであろう、それは君と私しかないのではあるまいか。こうなった以上、晋の予譲のなしたことをなすまでだ。予譲は戦国のころ、智伯という人物に仕え、愛された。智伯は数ヵ国の敵によってほろぼされ、その領土は敵の分けどりにされた。予譲は"士はおのれを知る者のために死す"となして、変装し、敵王を刺殺しようとした。そのために身に漆を塗って皮膚を赤むけにして病人を装い、さらに炭をのんで喉をつぶし乞食の風体をして敵王の馬車に近づいたが、捕らえられて殺された。その予譲の壮挙をせんとする者はこの吾曹である。防長の山々をあくまでも敵から護りぬかねばならぬ」
−−敵。
というのは、幕府と、その幕府の傀儡政権である俗論党政府である>>。
昨日も、「お金の算段がつかなければ選挙準備などできないのではないか?」とのご質問を親友からいただきました。全否定はしません(笑)。
ただし、「愛国の丹心」があれば「お金」がなくても政治、選挙はできるし、「愛国の丹心」がなければ「お金」があっても政治、選挙などすべきではありません。
前へ
次へ