教育と感化
2010/03/20 23:43
【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(17)】
家庭教育を初め教育の重要性を否定する人はいません。しかし、家庭教育を同じように施したはずなのに全く異なる道を歩もうとしている我が息子ら3人を見るとつくづく(笑)、子供達自身に内在する「質」が持つ力の大きさを感じざるを得ません。司馬遼太郎はこの「質」を研ぎすますことを「感化」と表現しています。このくだりは大変興味深い。
さて、薩長同盟よりも前、長州藩における内部抗争にも壮絶なものがありました。俗論派に対し革命戦を挑んだ正義派の奇兵隊を中心とする諸隊を煽動した人物達はみな、吉田寅次郎(松陰)の門人ばかりでした。中には、高杉晋作のように、ごく自然な人情の行きとどいた温和な家風によって教育されたにも関わらず「武士ぐるい」に育ってしまう者もいました。家庭教育の限界を示す偉大なる(笑)一例です。
<<教育というものがそれほど力のあるものであろうか。夫の晋作を見ていると、高杉家の、いかにも良吏の家といったおだやかな家風から、あのような武士ぐるいの好きな男が出てくるというのは、なんとも「つじつま」があわない。晋作は、教育の力というものがいかにむなしいものかという標本のようなものではあるまいか。晋作は明倫館の秀才でありながら、しかも良家の子でありながら、十代の終りごろ、祖父母や両親の目をかすめて、松本村の吉田寅次郎の私塾に通っていたという。そのために晋作が寅次郎の力で変形されたというのはまちがいで、本来、寅次郎と同質の人間だったのだとお雅はなんとなく気づきはじめている。同質であればこそ、晋作は寅次郎の感化をうけたのであろう。感化をうけてから、同質の部分がいよいよ砥がれて鋭利になったのであろう>>。
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