「男たちの大和YAMATO」
2006/09/12 13:35
伊藤さんから「涙をハラハラと流してしまった」とお薦めいただいた映画「男たちの大和 YAMATO」(佐藤純彌監督)をレンタルで見ました。戦艦「大和」の運命が予めわかっているので、内田真貴子(内田兵曹の養女)役の鈴木京香が「大和が沈没した地点へどうしても行きたいんです!」と言った時点で胸がもう熱くなりました(笑)。
この真貴子を沈没地点へ運ぶ漁師・神尾克己(仲代達也)の回想。先輩兵曹に助けられながら大和の中での厳しい訓練に耐え抜く20歳にも満たない特別年少兵達。レイテ沖海戦で連合艦隊が事実上壊滅したことで大和と自らの行く末にたじろぎ苦しみながらも、大和の乗組員であるというプライドを決して失わない姿が描かれていました。運命の昭和20年4月、苦渋の決断をした司令長官の指揮の下、彼らは「大切なもの」を守るため「決戦の海」へと向かうことになります。
「玉砕するのがわかっていて大和が沖縄へどうして向かうのか?」という若手兵曹からの質問に対する臼淵磐大尉(長島一茂)の答えは歴史上も有名です。吉田満著「戦艦大和ノ最期」では臼淵がこう語ったと記されています。「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚める事が最上の道だ。日本は進歩という事を軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れてきた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずして救われるか。俺達はその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」。映画ではこの部分を臼淵がもっとわかりやすい言葉で語るシーンがあって良かったと思います。
この一言が映画の全体を支える背骨になっているんじゃないかな?。壮絶な、いや、悲惨な大和の戦闘(このシーンは圧巻だった)、戦死したことの意味、生き残った意味、そして、現代に生きる私達の生かされている意味(これはラストシーンの少年の凛々しい表情が問い掛けている)。日本人は敗れたことによって本当に目覚めたのか?。本当に進歩したのか?。改めて考えさせられました。
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