電力会社社員時代の思い出

2007/07/20 13:48


 我が国の原子力発電の安全性に対する懸念を欧米のメディアが一斉に伝えました。吉田康人は、電力会社に10年間勤務していたこともあり、柏崎・刈羽原子力発電所へも何度か見学に行きました。
 原子力発電所の耐震設計に関心を持っていたのでその見学会で質問したことがあります。「地震対策を取っていることはわかった。ただ、我が国は地震が多い。同じ場所(柏崎・刈羽)で2度、3度と地震が続くことによって、『金属疲労』じゃないけど、クラックがその都度増えるなど発電所の耐震強度の劣化が早まるんじゃないか?」。それに対する回答は「そのことはよくわかりません」でした。
 原子力発電所に関して、社員時代の思い出がもう1つあります。新入社員の頃、同じ支店管内の各営業所に勤務する同期の仲間を集めて原子力発電に関する勉強会を運営していたことがあります。勉強会の名称は「原発を考える多摩テプコの会」(テプコは東京電力の愛称)。原子力発電に対する反対運動が最も激しい時でした。だから、「正しく勉強しとこ〜」との志に燃えて。
 勉強会を2回、3回と続けるうち支店幹部からかなり厳しい嫌ごとを言われました。「『原発』という言葉遣いは反対派の言い方だ。推進する立場にある者は『原子力発電』と言うべき。『原発を考える多摩テプコの会』というのは社内の反対派のグループか?」。あれから20年近く経ちますが、電力会社の幹部は今でも「原発」とは言わないんでしょうか?。
 今回の災害の本論とは直接関係ありませんが、そんなことをいま思い出しています。
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